自分にとってのゲーム

ふと知り合いのブログ*1を覗いて
そこで自分にとっての完璧なゲームというのを見つけたという方が居る事を知りました。
そこで自分も自分にとっての完璧なゲーム
またはそれに近いゲームを挙げてみようと思ったのですが
そこでははたと気づきました。


自分にとって完璧なゲームって何だろう?


それまで正直こんな事は考えたことはありませんでした。
ゲームっていうのはそもそもが娯楽で
こちらからどれをプレイするか取捨選択できるって事は
やっぱり自分の好みっていうものがあるわけで
そうするとやはり全てが自分の好みに一致した
人で置き換えると理想の男性像や女性像というような
理想のゲーム像っていうものが出来るはずです。


しかし、自分はいくら考えてもその「理想」の答えを出せませんでした。
なので理想のゲーム像に近いものというものも挙げることはできません。
それが良いことなのか悪いことなのかは自分には解りません。
でも、少なくとも自分にとって「好きなゲーム」っていうのは存在するわけで
それを分解して最小単位にしていけば「理想のゲーム」の答えが見つかる
っていうとソレもなんだか違うような気がします。


そもそも自分が本当に好きなのはゲームなのか
それともゲームという表現方法をとったエンターテイメントの一種なのか
まず、そこから答えを出さないといけないような気もしたりします。


今、世間では多くの(ゲーム)クリエイターさんが活動してらっしゃいます。
そしてその彼らに共通するであろうと思える事は
「自分の中の何かを表現する事」
なんじゃないかな、と私は思います。
そしてその表現手段として彫刻や小説、絵画、映画を選んだりすると思います。
ゲームも恐らくこの中に入るのでしょう。
しかし、ゲームをこの表現手段として選んだ時
それは果たして表現手段として最適なのかどうか
それはゲームというジャンルで表現する事によって最も効果的なのか
それともあくまでもゲームが好きだからゲームというジャンルで表現するのか
言い換えると受け手も
そのゲームはゲームと言う形をとっているから好きなのか
それとも
映画や小説、絵画なんかの他の表現方法に置き換えた方が実は更に好きになるんじゃないか
なんて事を考えないと
「自分の中の理想のゲーム」
っていう問いの答えは出ないんじゃないかなと思いました。


なんだかよくわからなくて長くなりましたが


貴方が好きなのはゲーム?それともゲームの中の物語?*2


という事を自分も含めて受け手、作り手の方々に言いたかったんだと思います。
特に自分を天才クリエイターだと思っている一部の業界の方々
自分の世界を押し付けるだけならゲームという表現方法は最適ではないんじゃないでしょうか?
ううん、やっぱり最初と最後で文章の目的がぶれてしまった

*1:http://d.hatena.ne.jp/rerasiu/20060724

*2:最近はストーリー性の高いものが多いのであえて物語という例をとっています